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血液型…A型/ 星座…牡牛座/ 性格…頑固な保守派/ 得意なこと…セリフの暗記/ 苦手なこと…手先を使うこと、音符を読むこと、整理整頓/ 口癖…あら、まあ!

2009年8月28日金曜日

日本語教師の実践力

今月、私は養成講座の授業で初めてのものを担当させてもらいました。
今まで主任だけが担当していた科目なのですが、おそらく近いうちに私も担当するように言われるんじゃないかと思っていた科目だったので、心の準備はできていました。…実際にやってみたら、時間配分が難しかったけど。

この授業のテーマは
実践力!

日本語教師の実践力とはどういうことかを考えてもらい、各自、これからの課題を設定してもらおうという授業です。

問題がある授業(実際の授業ではなく、そのために作られたもの)の教案と様子を見てもらい、問題点はどこか、なぜそれが問題なのか、改善するためにはどうすればいいかをグループワークで考えてもらいます。
授業の対象は、来月卒業を控えた人たち。
主任に授業のレクチャーをしてもらったとき、「ポイントを押さえる人もいるけど、だいたいの人がパフォーマンス面しか見られないよ」と言われましたが、実際、その通りでした。
「教師が棒読みなんだよね」
「教案を見すぎているよね」
…確かにそれも大事ですが、それ以上に大事なものを見落としているよ…。
たとえば学習項目の意味を伝えなければいけないところで、他の言葉と勘違いされそうな説明をしてしまっているとか、文法的に誤りである文を提示してしまっているという点に気づけない人が多いのです。
読解の授業のはずなのに、いきなり文を音読させ、教師が語彙を説明してしまっているような授業の様子を見せても、「教師の説明が一方的である」ということには気づけても、「読解ならば、最初は黙読させ、学習者がどこまで理解できているかをチェックするための質問を出すような進め方が必要である」という学習目的を意識しなければいけない部分は気付く人と気付かない人が半々くらい。
ここが、実際に現場で揉まれた教師と、養成講座を受講中の人の差かな…。

この授業を3クラスでしてみて感じた「養成講座の受講生に足りないもの」。
分析力
そして
活動目的を意識すること


それから、この授業ではなく、今学期担当していた教育実習クラスで、指導しきれなかった点。(事あるごとに力説したつもりでしたが、浸透させきれなかった…)
学習者のために最良の方法を選択すること

今回の教育実習で、私が何度も問いかけたのは、
「この活動方法を選択した意図は?」
「誰にとって有益な方法なんでしょうか?」
「ここで何を一番伝えたいんですか?」
の3つ。
2番目の「誰にとって有益か」という部分なんですよね、難しいのは。
「こうしたら楽だろう」という発想で活動を選択することは決して悪いことではありません。でもそれは誰が楽なのか。「教師も学習者も楽になる」だったらいいのですが、「教師が楽になる。学習者は簡単になる」ではダメなのです。つまり、教師がやりやすい方法を取った結果、学習者にさせる活動のレベルが下がり、本当に必要な練習ではなくなってしまうというようではいけません。
「直接法は効率が悪いのではないか。もっと媒介語を使った方が、学習が速く進むと思う」とレポートに書いた人がいました。
その通り。直接法は同じことを教えるのにでも時間がかかります。でも、このレポートを書いた人は「学習が速く進む」というのが、学習者が本当に求めていることかどうかは、ニーズやレディネスによるということを見落としているのです。

「媒介語を使う」→「どんどん進められる」かもしれませんが、マイナス面として「日本語を聞いて考えるという回路を作る工程を邪魔している」ということもあると思います。
何の理由もなく、このマイナス面が無視されているのであるならば、媒介語を使うという選択は「教師本位」と言わざるを得ません。

私は決して直接法の信奉者ではありません。私自身、学習者のレディネスに合わせて間接法で授業を行うことがあります。相手によって使い分けているのです。

目の前の学習者にとって何が一番必要か。それを第一の基準にし、教師の都合は第二に回せる力をつけさせること。
これも実践力の一つになるでしょう。

日本語教師養成講座担当者の実践力というテーマで考えてみると、私の課題は受講生に「実践力とは?」を考えさせることですね。

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