自己紹介

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血液型…A型/ 星座…牡牛座/ 性格…頑固な保守派/ 得意なこと…セリフの暗記/ 苦手なこと…手先を使うこと、音符を読むこと、整理整頓/ 口癖…あら、まあ!

2009年2月22日日曜日

夫婦のカタチ

冷蔵庫に何もなかったので、夕食を作るための買い物に出ました。
5時ごろにスーパーへ行くなんて、ずいぶん久しぶりで、違う世界に迷い込んだような感覚をおぼえました。。。

日曜日の夕方だけあって、人が多い。夫婦や家族で来ている人も多かったです。こういう中にいたら、私も主婦に見えるんだろうな。

子供が大声で泣いているのが聞こえました。「乗りたい!乗りたい!」と。それに対してお父さんらしき人の「見てみろよ、乗る場所なんかないだろう!」と叱る声。ふと見ると、買い物かごをのせるカートに子供が乗りたがっているんですよね。でも、そのカートは子供が座る場所などはついていないタイプのもの。お父さんが叱るのも無理はない。そこへお母さん登場。大声で泣く子供に対して「うるさいなぁ!早く行けよ!」と。
その時、私はちょっと面白い光景を見ました。
その夫婦は、おそらくまだ25歳くらいの若さで、二人とも髪を金色に染め、「今どきの若者」といった二人でした。奥さんの方は人妻とは思えないくらい、若々しい格好。
彼女は子供に怒鳴った後、買った品物を入れたばかりの買い物袋を持ち上げ、小股でちょこちょこ(少女のように)歩いて、ご主人に寄って行くと、甘えるような目でご主人を見上げました。そして、ご主人は彼女の手から買い物袋を取り、子供の手をひいて去って行ったんです。
子供には「うるさいなぁ!」と怒鳴る母親が、その直後に、ご主人に甘えた目をして、少女のように接するんですね。彼女が甘えた目で託した買い物袋は、どう見ても彼女一人で十分持てるようなもの。ご主人はそういう彼女が可愛いんでしょうけど…。「母親」から一瞬にして「女」に変貌した姿が面白かったです。

スーパーを出たところで、今度は50歳前後の夫婦に出会いました。こちらは二人とも買い物袋を両手に提げて歩いていましたが、奥さんの方が「どうしてこっちが重いの持って、自分は軽いのを持ってるのよ…」と不満そうな声でぶつぶつ言っていました。さっきは子供の泣き声と、それを叱る親の声で、今度は夫婦喧嘩に遭遇か…。日曜日だというのに、どんよりさせられるものばかりだ…と、ちょっと憂鬱になりかけたとき、ご主人が静かな声で一言。「力の差だよ」
それを聞いた奥さんは笑い出しました。私も危うく吹き出すところでした。
奥さんの不満をご主人がさらっとかわす夫婦のやりとりに、なんだか平和な日常を感じました。

二組のまったく違う夫婦に立て続けに遭遇して、「夫婦」というものについて考えさせられました。
夫婦って、他人がずっと一緒に暮らしていくんですよね。時には支えあい、時には互いを邪魔に思い、時には同志となり、時には理解不能な相手となる。何十年も一緒にいて、その先にはどんなカタチが待っているかなんて、どちらにもわからない。
自分の人生にドラマティックな展開はいりません。「辛い時も嬉しい時も、互いを思い出し、なぜか一緒にいてしまう」夫婦になれたら、素敵でしょうね。

2009年2月21日土曜日

『親が子供に教える「一番大切なこと」』


なぜか社内で回覧されていました。
今村暁/著『親が子供に教える「一番大切なこと」』。
塾を経営している著者が、受験勉強をする子供たちと接してきて感じた(確信した)事柄をまとめています。
私の勤め先は学校でこそあれ、子供を教える場所ではありません。そこでこの本が回覧となり、私の手元に来たということが、何だか不思議な感じがしました。
私が捜し求めている事柄に関係している本だから。
当たり前だと思われるけれど、できない親が多いこと。それが「一番大切なこと」としていろいろ挙げられています。例えば「子供の前で配偶者や教師の悪口を言わない」とか、「完璧を目指させるけれど、その結果が完璧でなかった場合も、きちんと評価して(認めて)あげる」とか。
ただ、こういう本を手にする親は、手にした時点で既に子供にいい影響を与えるような接し方をしているのではないかと思うのです。犯罪を生み出してしまうような人の親は、こういう本を手にすることすらないのではないでしょうか・・・。
私は子育てをした事がありませんが、子育てとは、小さいことの積み重ねなのだとつくづく思います。日々の親の一言、考え方、接し方・・・全てが影響しているわけですからね。
メッセージを本として出版しても、手に取る人しかメッセージを受け取らない。インターネットを利用しても、そこにアクセスしなければ目にしない・・・。メッセージを発信している人たちが「こういう人に見て欲しい」と思っている人へは、なかなか届かないのが現実ではないでしょうか。
やっぱりテレビなのかな・・・。テレビだって、見なければどうしようもないけれど。
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現在、子育てはしていない私ですが、教育には携わっています。私が相手にするのは、既に人格形成された方々ですけどね。
でも、日本語教師を養成するという段階においても、この本に書かれている子供との接し方の中で参考になる部分がありました。
次に教育実習を担当するとき、心がけてみよう・・・。

2009年2月14日土曜日

お風呂に日本酒

友人が先日厄払いに行ったんですね。で、そこでお神酒をもらってきたことから、日本酒をどう使うかという話題になりました。
友人「お風呂にでも入れようかな…」
私「へ?日本酒を??」
友人「お肌つるつるになるんだよ」
私「そうなんですか??」
友人「藤原紀香は毎日入れてるんだって。だから肌、綺麗だし」
私「へえ・・・」
友人「私も一回だけやってみたことあるんだけどね」
私「どうでした??」
友人「うん。つるつる」
私「どのぐらい入れるんですか?」
友人「わかんない。私はその時、1本全部入れちゃった」
私「え~~~!」

(注:私の方が年下であることから、出会ったころから私は敬語を使っているんです。かなり仲のいい友人なんですけどね。お互いにトンハさんのファンで)

私はお風呂に日本酒を入れるということを、このとき初めて知ったので、ちょっと調べてみました。だって、やってみたいと思っても、どのぐらい入れればいいのかわからないと不安でしょう??

量についてはいくつかありましたが、500~900mlの間のようです。
意外に多いな…。
これを毎日やったら、それだけで…出費がかさむやん!!

友人が言う「お肌つるつる」は、日本酒の持つ保湿効果によるもののようですが、そのほかに体を温めるので、寝つきがよくなるのだとか。あと、汗をかくようになるので、ダイエットにもいいとか書いてありましたが、汗をかくまでお風呂に入っていられない私の場合、それはあまり期待できず。

やってみようかなぁ…。ちょっとやってみて、効果がありそうだったら、何日かに1回のペースでやるのもいいかな…。

どうせ忙しくて、今年はお芝居を観にいく回数が極端に減るだろうし…。

ということで、会社の帰りにスーパーへ寄って、900ml入りの(安めの)日本酒を買って来ました。
いや~、これを一気にお風呂に入れてしまうって、勇気いります。
だって、もったいないもん。

気のせいかもしれませんが、けっこう気持ちいいです。
確かに体がポカポカしています。
心なしか、お肌もしっとりしているような…気がする。思い込みかもしれないけれど。

う~ん。続ける価値があるかどうかは、まだわかりません。

2009年2月11日水曜日

「ALTAR BOYS」

仕事がらみでいただいたチケットで、「ALTAR BOYS」というミュージカルを観に行きました。

いただいたチラシでキャストをちょっと見ると…演出が玉野和紀さん、出演が植木豪さんに東山義久さんに…ああ、ミュージカルと言うよりダンスショーなんだね、きっと。
…と思って観にいったのですが…もちろん、ダンスは多かったのですが…しっかりミュージカルでした。

感想を一言で表すなら
プロのダンサーによる高校演劇!

開演して一曲目。私の気持ちは早くもどよ~ん。…歌、下手。
そして芝居が始まってまたどよ~ん。…芝居も下手(^^b

ダンスはいいんですけど、歌詞が聞こえないよぉ…。たとえば、「つまり彼が言いたいのは…」で歌に入っても、その歌が聞こえないから、結局「彼が言いたい」ことはわからない(@_@)
そして、たまに音を外してしまう人も。
う~、ツライ。
歌が下手で、ハモれていない部分も多々あるのに、歌がメインの曲も!勘弁して~。

5人の青年たちが、歌で会場の人々の魂を救って行くというツアー最終日という設定。観客の心を浄化しつつ、最後は自分たちの魂も汚れを持っていることを告白し、彼ら自身が浄化されるという物語。
プロテスタントの中で育っても、実はカトリックであるとか、キリスト教の集団の中にユダヤ教が混ざっているだとか、オフ・ブロードウェーで上演されたオリジナルならともかく、この設定は日本社会には馴染みが薄い。またそれを、神をあまり信じていそうにない人々が演じることに、ちょっと違和感。

舞台の端っこに、この場にいる人々の中で魂にまだ穢れを持っている人が何人いるかを示す何とかセンサーっていうのが設置されているんですね。で、物語が始まった当初は救われていない魂が400人分以上あって、彼らが一曲歌うごとにその数が減っていくんですよ。歌のテーマは、その都度何だかんだと変わるんですが、歌ったら数が減って…の繰り返しに途中で飽きてしまい、「早くゼロにならないかなぁ~」と思いながら見てしまいました。

会場の方々の多くは、ダンサーたちのファンなのでしょう。異常なまでの盛り上がりを見せていました。最後はスタンディングまでしてノリノリ。後ろの方の席だった私は、舞台が全く見えない状態になってしまい、仕方なく途中から立って見ていました。周囲のノリには合せなかったけれど。…みんな、歌の下手さは気にならないのかな?

東山さんは癖がはっきりしていますね。何だか去年観た「夏の夜のロミオとジュリエット」の再現を見ているかのような癖。話しながら両手を合わせるところとか、ちょっと背中を曲げるところとか。レミゼで初めて見たときには、そんな風に感じなかったけれど、レミゼは動きが細かいところまでしっかり決められているからかな?
東宝芸能期待の大型新人と謳われている良知君、初めて見ました。何だか「宝塚BOYS」に出ていた森本君みたいな雰囲気。踊れるし、声質はいいけれど、たまに音を外す。そして音域が狭いので、彼が出しやすい音でないところは、声量が落ちて歌詞が聞こえない。まだまだミュージカルに出演するのはキツイな。これからどう磨かれていくのやら。
中河内雅貴さんのマイクが途中で調子悪くなってしまい、(他のシーンで使用する)手持ちマイクを持って頑張っていました。マイクに向かってセリフを言うから、少し奇妙でしたが、仕方ないですよね。お疲れ様でした。マイクを持ったままで踊りながら歌うのは大変だったでしょうに…。

終演後、トークショーがあるとのことだったのですが、出てきてしまいました。本編だけで充分長い二時間だったから。
わざとらしいセリフ回しと、浄化にはほど遠いハーモニー。
正直なところ、何故ミュージカルという形をとったのか疑問です。
同じメンバーなんだったら、ダンス・ショーにすればよかったのに。
仕事でいただいたチケットですから、私自身はお金を払っていない(ワンドリンク制でしたので、飲み物代は出しました)からいいようなものの、これに正規の料金(7800円)は出せないな…。

2009年2月7日土曜日

YMO

ここに書いたことがあるかどうか忘れちゃったんですけど、私は高校生のころからYMOが好きです。
今33歳の私が高校生のころですので、その当時、すでに散開(「解散」ではなかった)していて、皆さんソロになっていました。

ミュージカルにはまって以降は、しばらくYMOのCDを聞いていなかったのですが、最近、自宅のパソコンの前に長時間座って作業をしなければならないときなどに聞くようになりました。
それにしても面白い歌詞だ。
アルバム「TECHNODELIC」の1曲目である「Pure Jam」の出だし、皆さん、覚えています??

“This must be the ugliest piece of bread I've ever eaten.”
(こんな醜いパンは食べたことがない)
※注※ 歌詞カードには「可愛くないパン」と訳されています。

何という歌詞!
ジャムパンに対してこの言いようは、いったい何なんでしょう!!

そうかと思えば「浮気なぼくら」の中の「ONGAKU」の歌詞はひどくつまらない。(曲は可愛くて楽しいのに)

“僕は 地図帳広げて オンガク
 君は ピアノの上って オンガク”

私は自分が好きで聞いているだけなので、ファンからどう評価されているのか、評論家から見たらどうなのかはまったくわかりません。
ただ、初めて聞いた当時も、今も考えているのは、彼らが歌詞をもただの“音”としてとらえているであろうということ。
たぶん、「ONGAKU」の歌詞も、教授の中ではその言葉の響きが曲に合っていたんでしょう。意味は関係なく。そしてジャムの曲の方も、幸宏さんやピーター・バラカンさんの中ではぴったりだったんでしょう。

ちなみに彼らのアルバムの中で、私が一番好きなのは「BGM」です。ここに入っている曲はほとんど好きだなぁ。「Cue」は無意識に鼻歌で歌っていることもある。

今、テクノバンドっていろいろありますけど、YMOほど面白い曲を作る人たちはいない気がします。
私はマニアでもミュージシャンでもないので、技術的なことはまったくわかりません。でも、楽しく聴けるテクノを作ってくれているのは彼らだけな気がするんです。

昔YMOにはまっていたけれど、最近聞いていないというアナタ。
彼らの音をまったく聞いたことがないというアナタ。
ぜひ聞いてみてくださいね!

2009年2月3日火曜日

悪口を言いたくない…と言いつつ、悪口

朝の授業後、のんびりと受講生の質問に答えていたら、受付のお姉さんが教室に顔を出して、「ひょん先生、〇〇先生からお電話が入っています」と。
今朝は自宅近くの校舎に出勤で、授業が終わったらいつもの校舎に移動することになっていたのですが、電話はいつもの校舎の方にいる主任から。

「はい、お電話代わりました~」と呑気に電話口に出ると、主任の暗~い声が。
「あのさ、早めにこっちこられる??」
「はい…」
「ちょっと事件が起きちゃってさぁ~」

こういう場合、自分のドジを自覚している(そして直し切れない)私の思考回路は、「私、何かやっちゃったっけ??」という方向へ進みます。それがわかっているからか、主任は私が原因ではないけれど、重要な話をする時には、すぐに「あなたのことじゃないけどね」と前置きをつけて本題に入ってくれるのです。ところが、今日はそんな余裕はなさそうでした。さらに、内容的には私が校舎移動を早めたところで、何もできない事柄なんですよね。
…主任のあまりの余裕のなそうな様子に、ちょっと可哀想になってしまいました。
今、私のいる部門には専任講師が4人います。私は主任に次いで2番目の位置。そして年齢も一番主任と近い。(近いと言っても3歳の差があるのですが)…今日の出来事は、まだ内部で止めておく段階のものなだけに、言いやすくて、内部の人間である私に言いたかったのだと思うのです。私に話すことで、これからすべきことを整理し、さらにイライラしたやりきれない気持ちを誰かに打ち明けたかったのだと思うのです。


ちょっと前に、このブログで、同僚が会社を辞めようとしているというようなことを書いたと思います。それが現実になりました。しかも、直属の上司である主任を飛び越して、先にトップに伝えられ、トップから主任の方へ知らせがあるという、逆転した順序で。。。

正直な話、前にも書きましたが、私は彼に思いとどまってほしいというような意味の言葉をかけようとは思いません。別に彼が嫌いなわけではありませんが、考え方の違いで。

本人は日本語教育の分野での勉強をもっと深めたいと思っているのだそうです。そのために、大学院い進みたいと。
日本語教育を専門にして修士を修了している私からすると、
馬鹿か、おまえは!
と言いたくなる。
彼は受講生時代、私が教育実習を担当した生徒です。日本語教師としてのキャリアは、私の半分くらいしかありません。
今の学校をやめて、他の学校で非常勤講師をしながら大学院に行くのであれば、それはそれでもいいのですが、彼レベルのキャリアで大学院に行くために現場を離れることを選択したのであれば、愚かしいにもほどがある!

教師養成講座に所属しているために、日本語教師であるにもかかわらず、私たちには外国人を教えるという機会がわずかしかありません。彼はそれも気に入らないようなのですが、大学院に進んで研究したいというのが本心であるならば、教師養成講座の仕事を放棄してしまうのは、後悔することになるような気がするな…。ま、私の知ったこっちゃないけど。

主任は「自分で選んだことだからね。気持ちよく送り出すようにはしてあげたいけど」なんて優しいことを言っていましたが、私の方は、彼がこの時期に言ってきたこと(4月期のカリキュラム変更に向けて、今とっても忙しいんです)、このことにに伴う「急いでしなければならない“余計な”仕事」がどさっと自分の上に降って来たことに腹が立って、優しい言葉をかける気も失せています。
こういうところ、私は冷たいんだよなぁ。。。