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2008年9月28日日曜日

“想”と“認為”

仕事で久しぶりに中国語を使わなければならなくなり、作った教案を中国人の友人にチェックしてもらいました。そこで訂正されたものの一つに「思う」の訳がありました。
「この文だと“想”でもいいけど、こっちは“覚得”の方がいいね。“認為”は何か根拠があって思うときに使うもので…」

???

日本語では「思う」一つで済むんですが、中国語にすると何と対象となる訳語の多いことか!
想・覚得・認為・以為・考慮・愿意…
確かに中国にいたころは、「何となく」の感覚で使い分けていたような気もしますが、帰国して12年も経ってしまった私はその感覚が薄れてしまいました。で、友人に例文を挙げてもらったりして、だいたいは整理したんですが、「想」と「認為」の違いはどうもしっくりこない。

「想」は「欲しい」という意味のときによく使う。これは理解できる。自分も使うから。(ただ、その場合、いつも「要」を使うべきか「想」を使うべきか迷うんですけど)
でも、「欲しい」という意味以外で使われた場合、「認為」との区別がつかないのです。

「もういいよ。今度使ってみるから、間違っていたら訂正してよ…」

結局、今日は言葉による説明で理解するのをあきらめてしまった私。母語と概念の違う部分って、どうしても理解しにくいんですよね。その辺は一気に理解しようとせずに、使っていく中で、他人が話しているのを聞いていく中で感覚をつかんでいくほうがいいというのが、私のやり方。

直接法で説明することに苦労する養成講座の受講生が、言い訳のように「私、間接法で教えるので、こういうやり方はマスターしなくていいんです」って言うことがあります。でもね、間接法でだって、直訳できるわけではなく、辞書にも満足いくような説明がない場合は、教師がどこまで適切な例文をあげて理解させられるかが求められるわけで、これは直接法とポイントが同じなわけですよ。媒介語での説明が必ずしもわかりやすいわけではない。

自分が語学でひっかかるというのが、教師にとって勉強になります。誰かに今の自分と同じ質問をされても説明ができるように、自分自身が理解したいものです。

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