駅には人が溢れ、電車が動いてもかなりの混雑であろうことは容易に想像できました。
混んでいる電車に乗るのは嫌だから、どこかで時間を潰せないか…と考えながら駅を出ると、映画館の看板が見えました。
そうか、イーストウッドの映画が見たいと思っていたんだったっけ…。
子供の頃から、なぜかイーストウッドが主演している映画はよく見ていました。そろそろ役者は辞めて、監督に専念したいというイーストウッドが、脚本に惚れ込んで主演したという「グラントリノ」(もちろん、自分で監督もしています)。これは見ないわけにはいかないでしょう!!
やっぱりイーストウッドが好きそうなヒューマンドラマでした。
(この先、ネタバレあり。ご注意ください)
朝鮮戦争の記憶を引きずり、有色人種に対する偏見を持ち、子供にも孫にも嫌われている堅物のアメリカ人の老人が、見えてきた自分の死をどのようにするかを決断、実行する物語。死を間近に感じた彼が、孫くらいの年齢の離れたアジアの少数民族の姉弟と心を通わせ、自分の死を彼らの為に使います。
スーツを仕立て直し、散髪をして葬式に備える。庭の芝刈りをし、妻の遺言を守って教会へ懺悔(この懺悔の内容は、観客が予想していたであろう、戦争の記憶ではありませんでした!!見事な脚本です)に行き、今まで屋外で吸っていた煙草を屋内で吸い、自分が心残りがないようにする。
見ている時はその行動が何を意味するか、全てはわからないようになっている考え抜かれた脚本と、イーストウッドの重みのある演技。悲しく美しい人生終焉の物語です。
パンフレットの中に、イーストウッドのインタビューがあったんですが、その中で、インタビュアーが今回の主人公ウォルトはハリー・キャラハン(昔の主演映画「ダーティ・ハリー」の主人公)の年老いた姿なのでは?と言うと、イーストウッドは笑って、「僕はそうは考えなかったけれど」と答えるんですね。私はこのインタビューを上演開始前に読んだんですが、実際に映画を見てみると、なるほどと思える。ハリーがウォルトと同じ状況になったとき、同じような判断をするのではないかと。
ただの「物語のきっかけ」としか取れなかったシーンの一つの動きが、ラストでも重要な役割を果たします(「観客を騙す」という意味で)。新人の脚本家だそうですが、恐るべき才能です。
映画館で目を真っ赤にして泣いていたのは、私だけではないはず!
この作品、ぜひ皆さんに見ていただきたいです。
今日は充実した土曜日を過ごした気分です。
急なハプニングも、有効に使えば感動が手に入りますね…。
0 件のコメント:
コメントを投稿