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2011年11月24日木曜日

「吾、武人として生きる」

このタイトルを見て、誰の本かわかったら結構な極真空手通ではないでしょうか。
正確には「増田章 吾、武人として生きる」(東邦出版)です。
つまり元極真会館の選手だった増田章さんの本ということです。

ここに書いたことがあるかどうかわかりませんが、私は高校生の頃、増田さんのファンでした。極真の大会をテレビで見て、戦っている姿に一目惚れしました。
決して見た目がかっこいいわけではないし、「身体が小さいのに頑張っている」牛若丸系の人でもありません。むしろ、私がその時見た試合は第5回世界大会の決勝戦。小柄な緑健児選手との試合で、増田さんの身体が妙に大きく見えていたのでした。
それでもなぜかファンになりました。(地味だけど確実性の高い技だったとか、そんな細かいことは当時はわかりませんでした。)
その前年の全日本(増田さんが優勝した時)のビデオを取り寄せたり、「パワーカラテ」という極真の雑誌のバックナンバーを調べて、増田さんが特集されているものを注文したり、しばらくは夢中でしたね。制服姿のまま、男性に交じって本屋で格闘技雑誌を立ち読みしたりもしました。恥ずかしかったけど…。
でも、ほどなくして増田さんの選手としての全盛期が過ぎてしまい、大山倍達総裁が亡くなった後の極真会館の分裂騒動に幻滅して、極真は見なくなりました。2代目館長となった松井章圭を増田さんが支えずに、独立してしまったことにもがっかりだったんです。現役時代は良きライバルで、お互い呼び捨てし合うような仲間だったのに。

ちなみに、私が勤めていた日本語学校の校舎の一つが、増田道場の近くにありました。その校舎で授業した帰りとか、「増田さん、いないかなぁ~」なんて思いながら覗いたりしていました。(結局9年間、一度も姿を見かけたことはないけれど。時間帯が合わないんですよね)

極真の大会優勝者が本を出すということはこれまでにもありました。高校生の頃、松井章圭と緑健児の本は読みましたが、どちらも人生について模索を始めた高校生の私が満足できるものではありませんでした。
松井の本はひねくれた高校生読者にとっては「所詮、あなたは優等生だよ」で終わってしまうものだったんですよね。私みたいな落ちこぼれとは違うよね…と言う感じ。エピソードは面白かったんですけどね。でも、増田さんをライバル視していただけあって、増田さんに関する記述が多かったのは嬉しかったです。
緑の本は、「バカバカしい」で終わってしまいました。全体的に軽かった。いわゆる不良で、同級生を病院送りにしたり、少年鑑別所の常連だったりしていた人が、空手によって更生して世界チャンピオンになるという映画のネタとしては面白い人生なんですけど。でも、その体験を軽い文章で書きならべているだけなので、全く得るものがないし、面白くもない。女子高生読者にとっては、「珍しい情報」でしかないんですよね。
その当時、増田さんは本を出していませんでした。出して欲しかったけれど、世界チャンピオンにはなっていないから話も来ないのかなとか思っていました。

その増田さんがようやく2年前に出した本が、この「増田章 吾、武人として生きる」です。
アマゾンで偶然みつけ、大興奮しました。高校生の頃から待っていた本ですからね!
私が格闘技好きだということを知らない(敢えて教えていない)夫に見つからないように、こっそり買って読みました。
読んでみて、私がなぜ増田さんに惹かれたのかよくわかりました。
私ごときが言うのもおこがましいのですが、お弟子さんやファンの方々のお叱り(?)を覚悟で書かせてもらうと、増田さんって、自分と何となく似ているんですよ。不器用さとか、思考回路とか。
もちろん、決定的な違いはありますよ。この違いが増田章氏が増田章氏であるゆえんであり、私が単なる私であるゆえんなんだと思いますけど。
似ているけれど、増田さんは私に輪を掛けて不器用。もし空手に出会っていなかったら、そして精神的にもっと弱かったら、人生に行き詰って自殺してしまうんじゃないかと思えるほど不器用なんです。現役当時、「孤高の帝王」と呼ばれていた増田さんですが、本当に「孤高」という言葉が似合う人です。
その人が、全日本チャンピオンとなり、世界大会で準優勝し、今、武道を追求して道場を興しているわけで、その努力には並々ならぬものがあります。
高校生当時、この先の人生について考え始めた私が求めていた「師匠」だったんですね、増田さんは。

この本は、先に書いた松井章圭や緑健児の本と違い、エピソードがメインになっているわけではありません。自分の考え方を伝えるために、エピソードも加えているという程度の書き方で、増田さんのことを全然知らない人が読んだら、意味がわからない部分もあると思います。「この大会のことは知っていると思うから、詳細不要だよね…」って言わんばかり書き方なんですよね。しかも相手に都合の悪い批判的なことを書く時には、相手の名前は伏せてしまう。私は増田さんの対戦記録がまだ記憶の隅に残っていたから、「ああ、この“日本人選手”は阿部清文だな」とかわかったんですが。

内容的なことではなく、書き方という点で言うと、増田さんは誰かの名前を出す時、必ず「氏」(または「先生」「総裁」)をつけます。呼び捨てや君付けには決してしないのです。増田さんの「他人をリスペクトする」姿勢の一つのあらわれなんだと思います。
人間的に「出来上がった」人ではありませんが、それに近い人だと思います。私が男だったら、そしてもっと実行力があったら、こういう人生を目指したんじゃないかと思います。

今の私は「師匠」を必要とはしていませんが、高校生の頃にこの本を読んでいたらバイブルにしたかもしれません。あ、当時の私には文章が難しいから、理解できなかったかも。。。
(現在、「師匠」を敢えて挙げるとしたら母と義姉だろうな。この2人は尊敬しています。)

迷っている思春期の若者たち、自分には価値がないと思い悩んでいる人にオススメの本です。

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